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「16歳までSNS禁止」は暴論か、救いか?――養老孟司先生の視点と、父としての「背中」の教育論

​先日、スペインで「16歳未満のSNS利用を禁止する」というニュースが飛び込んできました。オーストラリアなどに続くこの動きを、皆さんはどう感じたでしょうか。

​「今の時代に無理だ」「自由を奪う」という声もあるでしょう。しかし、小学校6年生と3年生の娘を持つ一人の親として、私はこの規制に強く賛成します。

​なぜ、そこまで厳格に制限すべきだと考えるのか。そこには、単なる「危ないから」という理由を超えた、人間本来の姿に基づいた確信があります。

​1. 遺伝子は「デジタル」を想定していない

​人間の遺伝子は、数万年前の狩猟採集時代からほとんど変わっていません。私たちの脳は、五感で自然を感じ、身体を動かし、対面で人と関わることで育つように設計されています。

​一方で、SNSのアルゴリズムは、脳の「報酬系」をピンポイントで攻撃し、依存させるように作られた最新の人工物です。石器時代の脳を持つ子供たちが、この巨大なデジタル装置に自力で抗うのは、遺伝子レベルで「無理」なのです。

​2. 「脳の補助」か、それとも「脳の主」か

​スマホやSNSは、本来「脳の機能を補助する」ための素晴らしい道具です。

しかし、それを「補助」として使いこなすには、その土台となる「自分自身の知性や身体性」が育っていなければなりません。

​土台が未完成な子供がスマホを持つと、それは補助具ではなく、子供の思考そのものを乗っ取る「主」になってしまいます。養老孟司先生が仰るように、今の社会は「脳化」しすぎています。情報の海に溺れる前に、まずはスポーツで汗を流したり、本を読んだりして、自分の「身体」と「思考」の軸を作る。そのステップを飛ばしてはいけないのです。

​3. 「スマホよりかっこいい大人」を見せているか

​「子供からSNSを取り上げるのは難しい」という現実もあります。特に習い事の連絡網などでLINEが必須となっている今の日本社会では、隔離するのは至難の業です。

​だからこそ、私たち大人の姿勢が問われます。

大人がスマホを眺めてばかりいては、子供がそれを「魔法の道具」だと思い込み、憧れるのは当然です。

​私は今、子供たちの前でスマホを置き、読書や英語の勉強に励む姿を見せるようにしています。

「スマホをスクロールする指先よりも、ページをめくる手や、新しい知識に触れて目を輝かせる姿の方が、ずっとかっこいいんだよ」

言葉ではなく、背中でそう伝えたいと考えています。

​4. これからのデジタルとの距離感

​わが家では、デジタルリテラシーの勉強は「スマホ」ではなく「パソコン」で行うべきだと考えています。

親の目が届くリビングで、一緒に画面を見ながら、道具としての使い方を学ぶ。一人の時間にスマホというブラックボックスに閉じ込めるのではなく、開かれた場所で「知性を拡張する道具」としての扱い方を教える。

​「自分自身の進路や生き方を決め始める高校生」になるまでは、大人がしっかりと防波堤になり、豊かな身体性を育ててあげること。それが、今のデジタル社会における親の最大の責任ではないでしょうか。

​おわりに

​スペインのニュースは、私たちに「人間とは何か、教育とは何か」を問い直すきっかけをくれました。

便利な道具に支配されるのではなく、それを「補助」として使いこなせる強い個を育てるために。まずは私自身が、今日一冊の本を開くことから始めていこうと思います。