雑記

「人がとりもどしたいもの」〜自然との関わり方を子どもにどう伝え、新しい社会をどうデザインしていくか〜

B!

パパ
パパ
娘たちがアリを足で潰したらどうする?

ママ
ママ
ん〜、「かわいそうだからやめなっていうかな?」

こんにちは。ユパパパです。

この記事では「第33回りんごの木夏季セミナー セミナーブック」の中で、りんごの木代表である柴田愛子先生(https://ringono-ki.org/top.htm)と森の案内人である小西貴士さん(https://www.instagram.com/konishigori/)との対談「人がとりもどしたいもの」を拝読し、とても感動し、自然との関わり方を子どもにどう伝え、新しい社会をどうデザインしていくかを考察しましたので、自分の感想とともに紹介させていただきます。

自然との関わり方。子ども達にどう伝えるか?

柴田:例えば、蟻を足で潰すと動かなくなるから、ちっちゃい子は安心するでしょう?子供が一生懸命蟻をつぶしていると、そんなの絶滅危惧種じゃないから、私は、ちょっと残酷かもしれないけれど、いいと思っているのよ。

「第33回りんごの木夏季セミナー セミナーブック」

子ども達は「生き物と触れ合った経験がどれだけ多いか」が重要だと思っている。

例えば、とある敷地に商業施設を建てる計画がある。

その敷地は、草木が生い茂り、多様な生物の棲家でもある。

自然や生き物と触れ合った経験が極端に少ないと、そのたくさんの命を感じ取れず、「ただの空き地」に見えてしまうのではと危惧する。

その敷地を全てコンクリートで固め、商業施設を建てれば、そこにもう、生き物はほとんど住めなくなるけど、その時、心を傷める大人が増えることを望む。

子どもは残酷で、平気で昆虫を潰しちゃったりするけど、そういった経験の繰り返しで、自然との距離感を掴んでいくものだと思ってる。

愛子先生:ところがね、一歳の子がこうやって踏んでいるところからね、「だめよ、だめ!ほら、動かなくなっちゃったでしょ、死んじゃったでしょう」って言う親もいるのよ。その子供の環境の中に、多様なやり方を子供同士で見せるんじゃなくて、大人の言葉が飛んでくるわけでしょ。私は「大丈夫、大丈夫」なんて言っちゃってるけど。それはどう思う?

「第33回りんごの木夏季セミナー セミナーブック」

僕は、ついついそういった大人には(心の中で)「余計な口を挟まないで子どもの自由にさせてあげなよ」って思ってた。

でも小西さんは違った。

小西さん:そういうおとなにも出会った方がいいなと思うわけ。一方でアリのことをすごく大切そうに語る人にも出会ってもらったり。アリのことを自分の言葉で語れるってことは、すごく大事だと思う。そうなっていくために必要なことは、やっぱり近くにアリがいてもらいたいと思うんだよね。多分、単に動画を見ていたり図鑑を見ていたりだけでは足りないと思う。

「第33回りんごの木夏季セミナー セミナーブック」

「多様性」。この言葉がまず頭に浮かぶ。

アリに対する関わり方に正解はなく、人それぞれの関わり方がある。さまざまな角度からの関わりを聞けることが大切なのだ。

大人たちの多様な意見をきき、体感することで、子どもたち自身が、アリのことを自分の言葉で語れるようになる。

そのためには、アリや自然が身近にあってほしい。

自分の言葉をもつ「大人たち(人間)の多様性」と「生物の多様性」。

この両輪が、子どもたちが豊かに育つ土壌になる。

ところで、今のSNSとかも、自分側の立場、意見の気持ち良い情報しか入ってこない。

この環境も危険だな、とは感じますね、もっと意識的に多様性を持たせないといけない。

新しい豊かな社会のデザインのために。「もっと人間になれ!」

小西さん:僕は、こういう森を舞台にして、子供と会ってるでしょ。そうするとあんまり、物知りであることが役に立たない。(中略)なんかそれよりももっと、後…感じてることの方が、その場では大事になってきちゃうから。知らないことだらけだしね。今の愛子さんの話を聞いていて思ったのは、論理的に考えるようなことが悪いわけじゃなくて、それもとっても大事で。3歳位から論理的な思考の芽生えって出てくるから。そういう人たちっているんだけど、この国の社会は、何かそっちに強く引っ張りすぎなんだよね。それは世界的に見てもそうなんだろうけど。

「第33回りんごの木夏季セミナー セミナーブック」

僕自身、気づいたら「論理的思考型」の方に強く引っ張られている人間になっていた。

だって(言い訳だけど)、今の都市型システムの中で、必要とされるのは、そういった合理性を求める考え方で、感性はむしろ邪魔者扱い…。

美大を卒業したって、感性を仕事にして食べていけるのはほんの一握りで、残りのアーティストの卵達は、都市型システムの中で論理的思考を身につけ、生きていかなければならない。

でも人間(地球上の生物)は、古来より、もっと感じて生きてきた。

木に話しかけ、風と会話し、石の温度を感じ…。

やはり、現代は、論理的な考え方を大事にする傾向へ強く引っ張られすぎ、「感じること」、「体感」する場所と時間が足りていないように感じる。

もっと人間らしく、芸術的な感性を育てるための場所と時間。

もっと論理的思考への偏重傾向にブレーキをかけてもよいのではないか。2人は続ける。

小西さん:じゃぁ何が(論理的な考え方を大事にする強い傾向への)ブレーキなのかと言えば、(中略)ここの木を切ったらバチが当たるから切っちゃいけないとか。それこそ宗教が長い間大事にしてきたことだと思いますけど。そうやって木が守られていることで、その場所の生態系もずっと守られてきたことを考えると、けいな君みたいな感じ方は、やっぱり人にとって大事だったんだなと思うわけ。だから、人には敵わないような力があって、僕らはそういう力にも頼ってもいいかもしれない。それは五歳のレベルで語らせると「宝の地図」なんじゃないか、そこを伸ばして欲しいなと。これはまだあんまりうまく言えないけど、これぐらい豊かに考える人が、国の政策を作る時にも入っている方が、楽ちんなんじゃないかって。

「第33回りんごの木夏季セミナー セミナーブック」

ここで、岡本太郎先生と言葉を思い出す。

「日本人」は変身しなければならない。政治家よ、エコノミストよ、官僚よ、もっと人間になってほしい。そして芸術家に。芸術といっても、なにも絵を描いたり、楽器を奏でたり、文章をひねくったりすることではない。そんなことは全くしなくても、素っ裸で、豊かに、無条件に生きること。失った人間の原点をとりもどし、強烈に、ふくらんで生きている人間が芸術家なのだ。もっと政治が芸術の香気をもち、経済が無償と思われるような夢に賭ける。

経済問題も大事だし、列島改造も結構だが、容れるものを前提とするより、まず、“日本人”が変身し、平気で、ひらけた表情をうち出すべきだ。そして現代の政治・経済がおちこんでいる、あまりにも非人間的なあり方に「人間存在」と息吹をふきいれ、生きがいを奪回すべきなのである。

「自分の中に毒を持て〜あなたは“常識人間“を捨てられるか〜 岡本太郎 青春出版社」

「もっと人間になれ!」

熱いですね!心に響きます。

これからの日本(世界)は、「素っ裸で、豊かに、無条件に生きる」人間が増え、影響力をもつことで、論理的思考に偏った人間が作り上げた(都市型)社会にブレーキをかけ、次の新しい豊かな社会をデザインしていくのだと思う。

きっと楽しい未来になる。

さいごに

いかがでしたでしょうか?

この記事では「第33回りんごの木夏季セミナー セミナーブック」の中で、りんごの木代表である柴田愛子先生(https://ringono-ki.org/top.htm)と森の案内人である小西貴士さん(https://www.instagram.com/konishigori/)との対談「人がとりもどしたいもの」を拝読し、とても感動し、自然との関わり方を子どもにどう伝え、新しい社会をどうデザインしていくかを考察しましたので、自分の感想とともに紹介させていただきました。

http://www.lares.dti.ne.jp/~ringo/bookguide.html

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